本に潜る楽しさを教えてくれるファンタジー『はてしない物語』

ある日、急に外で読書したい気持ちになった。私は本を片手に外に出た。金木犀の香りが
漂っている。天気が良くて少し肌寒い。よっこいしょと腰掛け、あと2/3になった下巻のページをめくりはじめた。
読んでいた本は、『はてしない物語』 (ミヒャエル・エンデ著、上田 真而子訳、岩波書店、2000年)だ。同作者の作品『モモ』というお話が、面白く素敵な物語として、ずっと私の心に残っていた。そして、たまに耳にしていた『はてしない物語』のことが気になっていたのだ。
そういう経緯があって、寝る前のお供として、この本を読みはじめた。

どんな物語か簡単に書くと、ファンタジーを読みたいと思った人にこれほどぴったりな本もないだろう、という1冊だ。様々な種族が出てくること、少年が冒険すること、不思議な街、アイテム、力、存在があること、そして夢中になって一緒に冒険しているような没入感があること、この本を読むことによって、心を揺さぶられる体験をしたのだ。前述の様々な種族の描写がまた、無限の空想性を感じるのだ。こういう幅広い発想はどう出てくるのか知りたい。
また、この作品が1979年に発表されたのか、と思うとなんだか途方もない気持ちになる。良い作品に触れる度に思うことだが、そういう人の心を惹きつけてやまない物語は、時間を軽々とこえる。

物語に没頭にながらも、そろそろ飲み物が欲しいなというような気持ちが出て集中が途切れたとき、ふと今よく話題になる“異世界モノ”のことを思い出していた。この物語もある種でいえばチート能力を得た登場人物が冒険する場面が出てくるのである。古今東西、こういう全能感に憧れを抱き、主人公になりたい読み手の欲求が共鳴するのかなあ、などと考えた。そんな陳腐な夢想なんかものともしないほど、この『はてしない物語』は確立した物語ではあったのだが。というか、もう全ての物語は実はすでに書き尽くされているのではないのか…という気分になるほど確固としたものだった。

『モモ』を読んだときにも感じていたのだが、エンデの物語には心に突き刺さる場面、言葉、文章がある。曇った目がハッとさせられるような瞬間がある。一方で、楽しくて仕方がないワクワクするような、まさに冒険に出掛ける前のような気持ちにもさせて貰えるのだ。
この本を手に取って読みはじめたあなたは、きっとまさに本に潜りこむような体験をすることだろう。私は今もなお、はてしない物語の中にいる。

【今日の曲】
SPECIAL OTHERS ACOUSTIC「WOLF」『Telepathy』(2018年)

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