認識が変わると聴こえ方も変化する話

スポンサーリンク

レキシと真田記念日

レキシに「真田記念日」という名曲がある。この曲のfeat.は、Dr.コバンこと中村一義なのだ。
かつて、池ちゃんとかっさんは100sというバンドを組んでいた。今でもレキシのサポートによくはいっている山口寛雄 、玉田豊夢らと供に。

実はレキシを知ったのは100sの前だった。それどころか、SUPER BUTTER DOGを知ったのもレキシと出会った後だったのだ。
そんなまっさらな状態でレキシを聴き、特別好きな曲になった楽曲がいくつかあった。そのひとつが「真田記念日」だったのだ。

楽曲の再認識

レキシを知ってから幾ばくか経ち、糸を手繰り寄せ、100sに辿り着いた。正直に言うが、最初、中村一義の独特な歌声に馴染めなかったのだ。「真田記念日」では別に気にならなかった。
そんな思いを抱きながら、ギターのリフや歌のメロディにハマって色々聴いていると、いつしかその歌声も好きになっていた。
聴けば一瞬で分かる、記名性の高い歌声だなと思う。声にはパワーと切実さが混じっている気がして、グッとくる。

100sを一通り聴き終え、かっさんのことをちゃんと知って好きになった。ああ「真田記念日」を聴いてみよう、と思った。
「真田記念日」を流す。
頭をガツンとやられた気分だった。中村一義じゃん!
このとき、はじめて中村一義がこの曲を歌っているということを実感したのだ。
大好きであんなに聴いていた曲なのに、それまでとは全然違う聴こえ方になった。これが結構かなり衝撃だった。

慣れ親しんだ曲が、改めて聴いたとき、新鮮に響いたことへ唖然としてしまった。ようやくはっきりと認識したのだ。そして妙に感動した。

情報と評価

よく考えてしまうことがある。
例えば、美術館で絵画を鑑賞するとしよう。その際、画家のバックボーンや、あるいはその時代の背景を知るべきか、それとも、ただ、知識関係なしに見たままに湧いた感情で判断するべきか、評価とはなんなのか考えてしまうのだ。色んな歴史の積み重ねの末に、生まれ出たからこそ、その絵の価値は見いだされるのだろうか? 価値とはどこから生まれるのか。良さとはどこで感じるのだろうか。

音楽に対しても似たようなことを考えてしまう。音楽そのものだけを純粋に好きでいられればいいのにと、たまに感じることもある。それでもやっぱり、大好きな曲がどうやって生まれたのかを知りたい欲求は、ずっとある。経緯を知って、違った質感で耳に入って、妙に感動する瞬間があるのだ。そして、それを愛おしく思う。

こういうとき、あるいは情報とあわせて音楽を聴いているといえるのかもしれない。ある経緯があって、この音楽ができたとか、暗い時期だったのに反転するように明るい曲ができたとか、そういう話を知ることへの興味が尽きない。
もともと影響し合ってたもの同士のコラボ曲、影響された楽曲をオマージュして制作された1曲、単純に純粋に、ただ音楽を聴くだけだったら不要な事実は、けっこう世界に彩りを与えているんじゃないか。

「真田記念日」を聴きながらこんなことを思う。

おすすめ記事

【まとめ】レキシについての記事たち
レキシというアーティストについて書いた記事をまとめました。
聴き狂っている100sの話をする
中村一義やレキシの池ちゃん、そのほかそのほか名だたるメンバーで組まれたバンド100sについて書きました。簡単な紹介やおすすめの曲について綴っています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました