運について考える

私は、この世のほとんどが運だと思っている。運が良ければ、チケットが当たる、運が良ければ、人生もある程度、楽なのではないか、と。
そう思うのだ。その運の底上げ、補填がいわゆる努力するということだと思う。
例えば、大学入試を運という視点で考えてみる。めちゃめちゃ勉強したとして、そのことが生かされるかどうかというのは運の部分がある。その後、入学出来たとして、良い師に出会えるかも、運の要素が大きいと思う。狭い範囲でクローズアップしたが、そもそも生まれからして運なのではないか。ここまで考えると、なんとも言えない気持ちになるので、ちょっとライトな話題に移行しよう。

自分がどんな運を持っているか、なんとなく傾向を把握しはじめる時期がある。
私の場合、ガラガラや1等賞のようなものは当たらない。一方、自分の努力が少し入ったもの、例えば雑誌のプレゼントコーナーで感想をびっしり書いて送ると当たりやすい。また運の良い時期とすごく悪い時期は重なることが多い。良いことが多いときは、まさにフィーバータイムである。チケットが当たる、サイン入りグッズが当たる、整理番号がすごく良い、ラジオでお便りが読まれた、信号が全部青など短期間で良いことが起こったりする。一方めちゃめちゃ運悪い期は地味に長くて辛い。あり得ないコンボで窮地に陥る、用事が入りライブに行けない、チケットが当たらない、電車に乗り遅れるなど、色んなことが起こる。電車に乗り遅れるのは自分のせいもある。

運調整でも起こってるんだろうか。

一方で、ここまで生きていると、自社調査の結果分かった縁起担ぎみたいなのを持っている。こうしてこうすると良いことが起こると思っている行動があるのだ。あれを私はバグ技だと思っている。ゲームでいう、このアイテムを所持し特定呪文を唱えると最強の攻撃が出来る、みたいなそんなイメージだ。この行動は人それぞれ持っているのかなあ、と思ったりする。

こうやって運に対する認識を書いていると、ふわふわ生きているなあ、と感じる。自分の行動が起こす事象と、運は複雑に絡み合っていると思う。
何はともあれ、運が良くなりたいな、と思う今日この頃である。

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