以下、『白銀の墟 玄の月』前までのネタバレに触れる。
『華胥の幽夢』を読んだ時点で、こんなことを考えていた。
他国に兵をむかわせることに関する覿面の罪についてだ。
陽子が景王として登極できた一端は、景麒を偽王から取り戻すため、雁の兵を借りたことにある。いくら景王がいるからと言って、自分も麒麟も死ぬかもしれないのに、はては国が滅ぶかもしれないのに王師を貸した延王のヤバさ、天意がどうでるか分からないのにやってのけてしまうヤバさ、について考えた。が、そこはさすが延王だったわけだ。『黄昏の岸 暁の天』では様々な天の理が語られている。また、延王は“雁大事”の徹底的な姿勢も描かれている。だからこそのあの行動が出来たわけだったのか、と。
そうとはいえ、やはり、隣国、逃げ込んだ先が雁国だったからこそ、陽子は景王になれた巧みさには惚れてしまう。雁が大国で他国に助力をする余裕があったこと、延王が破天荒なこと、そういうのを引きつけたのは陽子の王気なのかな、などとも考えてしまうわけだ。
『黄昏の岸 暁の天』のなかに出てくる、内実と他人の評価に対する文章には胸を打たれた。浩瀚の弁がとても鮮やかだった。
陽子自身は、自分が良い王になるつもりはあるが、それが出来ているかは分からない、という姿勢をもっている。一方、信頼する官たちは良い王だと評する。その部分を読むと、やはり胸を熱くせざるをえない。また陽子に関わった者たちも、彼女のことをそうやって認めていく過程を見ると、文章を読み軌跡を辿った者としては嬉しく思うのだ。もちろん、陽子のことを快く思わない登場人物もいるが、その実情と出来事の対比が鮮やかで、目の覚める思いだった。
前回、物事に精通しているが内実を知らない他者は、慶国に良好な評を持っていたことを書いたが、実際にその場所にフォーカスをあてると、本人たちはいまだバタバタしている、というのは現実でもよくあることだよな、と思う。陽子は自分の朝廷を寄せ集めだ、と評したが、外から見ていれば、きっと時間が解決することだろうな、というのも分かる。
と、まあ読み終わったあと色んな思いが過って想像するのが楽しい物語である。また、数年前に一度読み終えたとき記憶を消して、またこの物語を読みたいと思ったものだったが、正直、読み返して80%くらい忘れていたので、面白さが減ることはなかったのであった。さて、『魔性の子』を読み終えたら未踏の地だ。登場人物達の境遇を思うと胸が苦しくなるが、一方で結末を見届けたいと切に願っているのである。
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