怠惰の発生と打ち破ること

ライブ後に起こる怠惰について」という記事では、ライブ後という期間に限定して書いてみたが、「怠惰」は私とって結構重要なテーマなのだ、ということを最近特に考える。
今日は、戒めとして書いておこうと思う。

毎日同じ生活をしていると、どんどん何もやらなくなる。それが私は怖くて仕方ない。

学生も社会人も、内容は違えど、行動は同じようなルーティンの繰り返しが多いのではないか。でもまだ、学生は学期学年の区切りがある。社会人は年数を重ねるごとに仕事内容に変化があるのではないだろか。
だから、特にやばいのは長期休暇なのだ。その辺の話は「長期休暇に対するトラウマ」にも書いたとおりである。

強制的な変化がずっと大嫌いだった。環境が変わったら「早く慣れろ」と何回も唱えていた。変化によるストレスで体が弱ることも多かった。
その一方で、だ。慣れるとずるずる生活水準が落ちていくことを発見した。この生活水準というのは、今日はよくできた1日だった! と思えるかどうかという意味合い、充実度の話である。言い換えると一日をなあなあで過ごさない、とでもいうのだろうか。

例えば、いつものメンツと同じような話をし、同じような休日を過ごす。ライブは特別なことで、もちろんひとつひとつ違うし、アーティストも違うが、それはもう、わたしには"慣れたこと"でもある。そうやって自分のやりたいことだけ能動的にあるいは受動的に過ごしていると、どんどんやる気、動く気が出てこなくなり、腰がめちゃめちゃ重くなっていくのである。やらねばいけない諸々のことを放置し、漫画やゲーム等の自分にとってやるハードルが低い快楽に時間を使ってしまうのである。

この傾向にようやく気づけたのは、半ば強制的なことが起こり、うん年ぶりの人々と特別な場で会う、という普段とは全く違うことがあったからだ。他の人も頑張っているから自分も頑張らなきゃ、とかそういう直接的な影響を受けたわけではない。ただその翌日、いつもだったらスマホをみるか、漫画を読むか、ゲームをやるかで終わってしまう自由時間で、色々なやらねばならぬこと、やりたいけど面倒くさかったことにあたれたのである。
この今の気持ちを忘れたくない。なにかしなきゃ、どうにかしなきゃ、とエンジンがかかっている状態を持続したい。
しかし、時間が経つと、慣れるし忘れるし、怠惰になる。他人に指摘されても、直接怒られても怠惰は治らない。違う環境に放り込まれて、はじめて頭は回転し出すのだ。きっかけがないとなんにもやる気がしないから、おんなじように過ごし、ご飯を食べ寝て次の日が来る。たまにライブに行って、いい人生だなあと思いながら、叶えたかった夢は、叶わなかったなあと思いながら命が削れてく。
そんな様子が目に浮かぶ。
すごく怖い。

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