BUMP OF CHICKENのドーム公演に行って思った距離の話

ドーム。メットライフドーム、京セラドーム、ナゴヤドーム、そして東京ドーム。ライブ会場としてのイメージで言えば"広い""でかい"だ。
今までBUMPはアリーナでライブをやるイメージが強かった。もちろん以前はライブハウスでのツアーもあったが、近年は大きな会場での公演が多かったように思う。(最近はちょこちょこライブハウスが挟まれて嬉しい限りである。当たるかは別)
そして2016年、 "BFLY"ツアーで初めてドーム・スタジアムツアーが行われた。正直に思ったことを書こう。あの距離感、広さを満たせたのか、届けられたのか、とふと思い返すと、私の中で満場一致にはならなかった。

そして今回のaurora arkツアーだ。ドームなのにチケット取れないってどういうこと!? と叫びながら、なんとか席を得ることができた。何度目かの先行だったので、場所に関してはそもそも期待していなかった。目の前でBUMPが音楽を奏でているその空間にいられれば良いのだ、といつも通りの心持ちで赴いた。
会場に入るとたくさんの人がうごめいていた。ああ、こんなにもBUMPのことを好きな人がいるんだよな~わざわざチケット取って、ここまできた人たちなんだよな~なんて思いながらスタンド席に向かった。
ぼんやりしていると、客電が落ちた。

聴いていた場所はステージから結構離れていた。
でも、慣れ親しんだアリーナと変わんないじゃん、と思った。

BUMP OF CHICKENのすごいところのひとつは、"君"へ向けているんだ、という姿勢だと思う。ドームにいるウン万人に向けて演奏しているのではない、いつだってBUMP対ひとり、これが建前じゃなく、体現できてしまうところが、なんというか、大好きなのだ。
その瞬間、距離はなくなる。BUMPと私の心の距離は0になる。
BUMPのことを話すと、どうも感情過多になる。それは、彼らもまた、そして曲たちもまた、色んなものが溢れているからだと思う。

もはやBUMPは私の血であり肉である。比喩でなく、毎日聴いている。それを意識的にやっているわけではなく、ただのいつもの日常として十ウン年続けている。影響を受けすぎて、どこからが影響を受けた部分か分からない。いつもそばにいてくれるし、これからもきっとそうなんだ。何百回聴いたか分からない曲を今聴いても泣きそうになるし、ふとした瞬間涙がこぼれる。何百回聴いたか分からない曲でも、ああ、そういうことだったんだ、と新鮮な気持ちで理解する瞬間が突然訪れる。

でも、やっぱりライブに行きたい。なんでこんな焦がれるような気持ちでいっぱいなのか説明できないけどライブに行きたい。場所は関係ない。どこだろうとBUMPが鳴らせば0距離になる。いや、それでもライブハウスで聴きたいっていう欲求は、そりゃあるけれど。
どんどん取り留めのないことになってきた。そろそろしめよう。
ようは、BUMPのライブが最高だったという話である。

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