志村正彦とただのいちファンの話

「志村正彦と」という表記は等号のようになってしまいどうも違和感がある。でもこれしか思いつかなかったので許してほしい。この文章は、ただの、いちフジファブリックファンが志村正彦という存在をどう思っているかについて書いたものである。

志村くんは、もうこの世界にはいない。そういう事実があることは知っている。でもそれをいまだに、なんだかよく分からないな、と思っている。ずっとそんな状態だ。

遡ること数年前の冬、多分、私は朝のニュースで目にしていたと思う。だからこそ、事実は知っていた。でもそれは、フジファブリックの音楽にちゃんと出会う前の出来事だった。当時、何を思ったかは全く覚えていない。

そして時は進み数年後、私はアニメの主題歌を担当していたフジファブリックが気になりだした。次第に音源を聴きはじめ、浴びるようにたくさん流した。どんどん魅了され大好きになっていった。時期年代分け隔てなく、フジファブリックのアルバムをたくさん聴いた。そうしたら、バンド自体に興味が出てきた。書籍を読み漁り、音楽雑誌を集めた。円盤を手に入れ、食い入るようにライブを観た。そしてチケットを取り、念願の生演奏を聴く。
どんどんフジファブリックというバンドは私のなかで立体的になった。特別な存在になっていった。
でも、そうやって色んなフジファブリックに関わるものに触れても、志村くんがいないことが、なんだか信じられなかった。彼がいるライブ映像を観て、書籍を読んで、ラジオを聴いていると、まだどこかにいるような気がした。

不思議だった。フジファブリックに惹かれた日から、年月を越えて、いや、月日は関係なく、一部分、色褪せることのない痛みをずっと抱いている。

しかし、そもそも私がフジファブリックを好きになったのは、3人が作った音楽に出会ったところからだ。
私がフジファブリックとちゃんと出会えたのは、続けることを選んでくれた彼らのおかげなのだ。良い曲をたくさん届けてくれる、フジファブリックのことが大好きな3人がいてくれたからなのだ。昔の曲も、今の曲も分け隔てなく。

ボーカルが違う、というのは、率直に言ってめちゃくちゃな変化だと思う。トリビュートなど聴いてみても分かる。
フジファブリックのすごいところ、総くんのすごいところは、彼の歌はコピーでもカバーでも全くないところだ。フジファブリックそのものであることなのだ。その歌は、私の心に真っ直ぐ届く。今に至るまで、どれほどの努力があったのだろうか。

私にはいくつもの夢がある。ライブでこの曲を聴いてみたい、こんな光景を観てみたい。その夢たちは、大好きなバンドを追いかけているうちに、いくつも叶えてもらった。アジカンで鍵盤を弾くダイちゃんを観れたこと、「BUMP OF CHICKENのテーマ」を生で聴けたこと、「ロマネ」を生で聴けたこと。
でもそのなかでもう二度と、絶対に叶わない夢がある。夢は未練でもある。未練は執着にもなる。あの曲を聴けた、この曲を聴けたという出来事は、私の未練を解消し、執着を納めていった。ある種、きつい結びは優しく解かれた。
でも、叶えられることのない夢は、その夢は、ずっと私の心に残り続けるのだ。だからきっと、理由はもちろんそれだけなわけがないけれど、私はフジファブリックをいつまでも聴いていると思う。

志村くん、誕生日おめでとう。あなたの音楽が大好きだ。

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