ライブへ行く。色んなものを観る、聴く、感じる。その場所で、そのとき、ああ、私は今、世界で一番幸せだ、と思えたらそれ以上のものはいらないんじゃないか、と思う。
一方、人間とは簡単に忘れる生き物だ。そのことで助かることもあれば、もったいないと思うこともある。ライブにいるとき、来て良かったなあと思う一方で、この目で見て、耳で聴いた光景を音楽を自分に焼きつけたい、すぐに思い出したら鮮明に蘇るようになりたい、とも思うのだ。
だからか、私は、ごくたまにライブレポートを書く。人に見られる場所に出すものではなく、ごく個人的に見るために書くものだ。セットリスト、MC、何があったか、何を思ったか、そんなようなことを書く。
この前、そんな風にしてごく稀に書かれた自分のためだけのライブレポ、2015年の公演のものを見たら驚いた。え!? こんなことあったっけ、とびっくりした。忘れている。忘れているのだ。あんなにずっと覚えていたいと思っていたことでも、やはり忘れてしまうのだ。
こんな話を聞いたことがある。苛ついたことや悲しかったことなど苦しく忘れたいことがあるときは、紙に書くと良いという話だ。そうするとそのこと忘れやすくなる、みたいなことだった。これを知ったとき、ライブレポを書いていいもんか? と思った。
文字にすることによって、状況が整理され、書かれたことしか自分の中で“あったこと”ではなくなる気もする。出来事を自分の中で漂わせていたいのに、確定させてしまう感じとでも言うのだろうか。
でも、書いたのを読むとそのときの感情を克明に思い出すことが出来るのも、また事実なのである。パソコンもレコーダーも外付けで容量をもたせたりするし、そういうことか? とふと過った。
ライブレポを、ライブがある度に書けたらいいなあという理想はあるが、なかなかそうもいかない。2DAYSなどなおさらだ。昔はよく書いていたなあと感心する。好きなものが格段に増えた今、そこまで手が回らない。そういう場合は、この公演を書こうと思って書くわけだが、映像化されるだろうと見当をつけ、実はその予定がなかった公演という場合もある。それに例え映像化されたとて、そのときの感情だけは私のものなのである。
あの公演で~みたいなこと起こらなかったっけ? と確認したくなり、検索で出てくればまだ良い。公式かあるいは音楽メディアかあるいは熱心なファンが書き残してくれていることもよくある。でも、その場で観ていたときと相違を感じることだってあった。
残したいような残したくないような。でも、きっと気持ちはタイトル通りなのだと思う。
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