期待値が高いとロクなことがない

期待する気持ち、というのは誰しも抱くものだと思う。自分に、人に、環境に、運に、未来に、色んなものに期待する。しかし、期待値を高く持ってよかったことがあったのだろうか?今回はそんなお話である。

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内的要因、自分の意思で叶えられること

これがこうなればいいな、と思ったことで実現したことは、どのくらいあるのだろう。状況は大きくふたつに分けられると思う。内的要因と外的要因だ。
自分の意思、努力、行動でなんとかなるものに期待することは、そう悪くないと思う。自分ならこのことを、これくらいで出来る、そう期待し成し遂げれば、相応の自信がつくだろう。この状況は「自分に期待する」というよりは「自分を信じる」と言い換えたほうがしっくりくる。まさに「自信」ではないか。例え、自分に期待し、成し遂げられなかったとしても、この場合反省や対策が行いやすい。自分自身のことなので、何が問題だったのか振り返り、自分に問いかけることが出来る。答えも自分のなかにある。やっぱり僕なんて、私なんて、と自らを無為に責めるとしんどいので、気楽にいこう。

自分のこと以外は基本思い通りにはならない

問題なのは他者や外部に期待することだ。この期待が叶えられることはあまりない。口に出さなければなおさらだ。そして、口に出すことは相手にそれなりの影響を与えることになるので、よくよく考えなければならない。
明確な相手がいないものに期待するパターンもある。自分の力ではどうにもならないことに期待するパターンだ。

そう、ライブだ。ライブでは、整理番号や座席番号、視界良好(前にいる人の背丈)など本当に運要素が強い。またセットリストへの期待もある。高い期待を抱き、ライブに臨んだとする。そもそも期待値が高すぎるので、そのラインを越えてくるのは難しい。これなら何も考えずライブに行った方が、楽しめるのではないか。期待しすぎると、逆に不満が生まれてしまうのではないか、そんな風に思うようになった。
また、あの曲やらないかな、この曲やらないかな、という願いが叶えられることはほとんどない。そして、そういう心底聴きたい曲が聴ける瞬間というのは、大抵、何にも考えずライブに赴いたときなのである。はじまる前まで友人と他愛もない話をし、ライブ中は、わあ良い曲だなあ楽しいなあと思いながら音楽を聴く。こういうある種、無心状態のときに、ずっと聴きたかった曲が演奏される、というパターンが結構あるのだ。驚きがあって印象に残っているという部分もあるのかもしれないが、この曲やってやってくれないかなと前もって期待するよりも感情の差分が大きいと思うのだ。

チケットの整理番号もそうだ。良い番号だといいな~なんてひょっこり期待が顔を出したときは、それなりだし、何も考えず発券したときほど、目玉が飛び出る席だったりするのだ。これぞ「物欲センサー」であろう。
入手出来るモノが不確定な買い物 カプセルトイ、くじ引きのお話」にも通ずる話だが、人の欲望というのは恐ろしい。

なぜ人は期待してしまうのだろう。自分に都合の良い想像、妄想を膨らませてしまうのだろう。
この世界は自分の思い通りにはならない。世界は自分で、自分は世界そのものだが、それは存在する皆にも当てはまることだからだ。あるがままを受け入れる、文字に書くのは簡単なのに、体現するのは非常に難しい。

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