締め切りの力と無為に過ごす時間

やりたいこと、やらなければいけないことが沢山ある。絵を書く、読書、文章を書く、部屋の掃除、洗濯物の片付け、遠征の行程を決める、今後のことを考える、などなど盛りだくさんだ。それなのに手にはスマホをもち、時間は無為に過ぎてゆく。SNSを眺めているとすれば、それ以上更新されないのに読み込む手を止めることができないのだ。
何回も読んだ漫画を読み返し、最終巻まで読み尽くす、などの行動もやりがちである。何かをなそうと思って早く目が覚めたままに起き上がっても、アプリで漫画を読んでいたら世話がない。でも、やり始める気はなかなか起きない。

あることを成し遂げようと決めて、この行動を積み重ねればきっと何か変わる、そうは思っていても、腰が重いのはなぜだろう。
一方で、締め切りの力はすさまじい。この日までにこれをやらなければならない、ということは非常に強い効力を持っている。今週中に文章を完成させなければならない、明日までに本を読まなければならない、そういう期限は、それまでの自分には信じられないほどの集中力をもたらす。今までの経験上、例えば読みたい本があったとしても、そういう「締め切り」のようなものがあるほうが、圧倒的に読了できた。何日までに返さなければならない、次の予約が入っているようなので、また借りることはできない、などの要因が私の腰を上げさせたのだ。
締め切りや期限が近ければ近いほど、一生懸命になる。そしてこの締め切りが、自分で設定したものではなく、外的要因で決められたものだと、より一層必死こいて何とかしようとすることが多い。宿題や課題なんか特にそうだったではないか。ここで、締め切りを破っても、そこまで問題にならないと分かってしまうと、結構危険だ。これは自分で成し遂げようと思ったことへの取り組みにも影響する。
だからこそ、破っても大丈夫だ、という確信なんか積み上げている場合ではないのだ。

最近分かったことがある。期限内にやり遂げた経験を積むこと、成し遂げた自分をめちゃめちゃ褒めること、そういうことを繰り返しているとだんだん自分に自信が付いていくのだ。このくらいなら、この程度の日数をかければできるだろう、そのためにはこの日までにこれを終わらせて……と目算も明確になってくる。はじめる前は大抵甘く見積もっているので、思ったより時間がかかったなんてこと、日常茶飯事なのである。だからこそ、自分の今できる作業量を知っておかねば、と思うのだ。

自分で決めたことは、私にとって強制力がそれほど強くない。だからこそうまく締め切りの力を使い、自らにブーストをかけていきたい。

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