美味しいという範囲の話

最近ようやく自分が何にお金をかけたいか、が分かるようになってきた気がする。
ひとにはそれぞれお金をかけるモノに対する比重の違いがあるだろう。それが自分の人生においての楽しみだったり、幸せである部分に使ったり、消費、快楽、暮らしを楽にするなど、用途は様々だと思う。そのために何かの水準を下げることを厭わないときもある。
そして美味しい食べ物というものは、多くの人にとってお金をかける対象になり得る関心事ではないかと思う。今回は食の話だ。
自分の味覚について考えることがよくある。私の場合、「まずい」と感じるのが10%、「美味しい」が80%、「こんなもの食べたことない!最高!」が10%、の帯グラフなイメージだ。美味しいが80%枠なので、大抵のものをうまいうまいと言いながら食べられる。私がまずいと思うのは、ふやけたパスタやパサパサのご飯、とかそんなレベルだ。
さて、最近、1,000円くらいのパスタを食べた。そのとき普通に美味しいと思ったのだが、同時に、これならサイゼリヤでもいいなと思ったのだ。多分同じくらいの満足度になると感じたのである。もちろん1,000円のパスタの方が具は多くて色々入っている。でも、なんとなく、駅前という土地代も入ってのこの価格なのではないか、という感じがしたのだ。舌の鍛錬が足りないだけかもしれないけど。
つまり何が言いたいかと言えば、サイゼでパスタを食べて浮いたお金をどこかに補填するべきだったのでは?という発想が浮かんだことだ。
最近お金の使い方が極端になっているのを感じる。かけるべきところにはかけ(ライブ)、別に高いお金を払っても満足度は変わらないな、と思うところは節制する。あと交通費をどれだけ抑えられるかについては執念を燃やしている。時間とお金は反比例なので、なかなか兼ね合いが難しいけれど。
その一方で、本当に美味しいものを食べたいという欲求も強い。だから、ご飯も、その土地で食べるのが美味しいもの、それだけ払わなければ食べれないもの、など付加価値を感じる料理にはお金を惜しまないが、日々の買い食いやなんとなく外食する場合は、お金をなるべく使わない方向で考える。
とはいえ、買い食いやお菓子を買うのは今でもたまにやってしまうのだが。

私は80%枠の美味しいのなかに入れば、だいたいなんでもいい。お金を払うときはとびっきり美味しいものが食べたい、という自分の趣向に気づいた。そうやって自分の傾向や好みを知り、楽しく愉快に生きられる道をずっと模索していくのだ。

今後、遠征先で食べてよかったもの、お土産で買ってよかったものの話もしていきたい。今思いつく限りでは、金沢、京都、大阪、広島、福岡あたりで印象深い美味しいものと出会っている。良いものは、どんどんオススメしたいのだ。そしてこの文章が、誰かの幸せに少しでもつながれば嬉しいな、とそんなことを思うのである。

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