漫画『少女終末旅行』と“生きるためだけに生きること”

生きるためだけに生きることが出来たら、と思ったことはないだろうか。
ある程度年をとると、生存しているだけでお金がかかることを実感する。税金に保険、食費に光熱費、息をしているだけで、実はお金がかかっていることに、ふと気づく。
生きるためにはお金が必要だ。そのために、多くの人は労働を強いられている現状があると思う。もちろん、働く理由がそれだけではないことも分かっている。

それでも、思うのだ。
生きるためだけに生きられたらいいのに、と。

ではその姿はどんな形なのか、その一例をある作品が見せてくれたのだ。
つくみず先生著『少女終末旅行』(新潮社) という漫画である。
簡単にあらすじを書くと、少女2人が終末世界を旅する“ほのぼの”した漫画である。“ほのぼの”と書いたように基本的にはのんきだが、後ろにはうっすらと絶望が共存するお話だ。舞台が終末世界のため、人類はほとんどいない。また、旅をするのは高度に発達した様子が窺える廃墟の巨大都市だ。主人公の2人はその廃墟都市を探索し、物資を補給しながら進んでいく。人間がいないため、見つけた食料や燃料は使い放題、どこで寝るかも何を使うかも自由だ。
現代の人々の働く根本は、自分が食っていくためだと思う。お金がなければ食べ物は買えない。もちろんお金に頼らず生きる方法もあるが、それは「普通の生活」とやらを手放さなければいけない可能性が高い。不本意なことも、無駄と思って絶望したくなるような時間も耐える。こんなことをするために生まれてきたわけじゃない、自分の命をこんなことで燃やしてもいいのかと自問自答しながら、それでも日常を生きる。
だからこそ、終末世界を生きる彼女たちに憧れを抱くのだ。ある種、過酷な日々にもかかわらず、生きるためだけに生きる自由な2人を羨ましく思う。彼女たちが生きるのに金銭は必要ない。 そもそもやりとりする相手がいないのだから、お金に意味がないのだ。
そして所有もあまり意味がない。生きるために、主人公たちは移動し続ける。そのためには必要最低限の荷物で、到着した場所にあるものを使って生活を営むしかないのだ。
現代の我々がどれほど物に執着し、縛られ、そして安定を得ているのかを痛感する。彼女たちの生き方を羨ましく思う一方で、沢山の物を所有して安心している私は、じゃあそういう状況に置かれて楽しく生きていけるのか、と問われても答えられない。そして、現代の恵まれている状況を改めて認識する。
自分の価値観をまた違った側面から見つめ直せる目線を得ることが出来た作品だった。初回と二度目の読後感が違うのも印象的だった。
全6巻で、基本的には緩やかで穏やかで好奇心が疼くお話が沢山収録されている漫画である。ぜひ読んでみて欲しい。ふとしたとき、この物語のことを考えたくなる魅力を持つ作品である。

余談だが、この物語を読んでいたとき、フジファブリックの「夜汽車」を聴いている気分になった。「蜃気楼」も似合う。それでいて「ムーライト」も合うと思う。

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