好きなものを好きじゃなくする方法

今、私は音楽があるから生きていると言っても過言ではない。ライブがあるから勉強もするし、働きもする。
でもその大好きという感情が、自分が進みたいと願う道の邪魔になってしまうのなら、手放すほうがいいのかもしれないと思う。

受験のとき、そう感じた私は、好きなものを手放した。
当時、あるグループが大好きだった。でも、今はもう全く関心がない。こうなるまでにはどうすればよいのかについて話そう。
この話が、お金を注ぎ込むのをやめたいのにやめられないという人や、良い意味で好きすぎてつらいではなく、文字通り好きすぎてつらいという人の一助になれば幸いだ。

単刀直入に書く。好きを止めるにはどうすればよいか。方法は簡単だ。離れることである。
実体験を話していこう。
そもそも結構人気があるときから、私はそのグループを好きになった。音楽も好きだし、メンバーの人柄や関係性も好きだった。出演のメディアを観て、雑誌を買ったりしていた。次第にメディアへの露出が激増し、グッズも増え、このまま追っていると受験勉強に支障が出るのではないか、と思い至った。あるいはそんなにお金がなかった。
だから、情報を絶った。まずはテレビを観ないようにする。そうすると時間が湧いた。音楽も聴かないようにした。勉強をしているうちに、日々が過ぎるうちにそれどころではなくなっていったのだ。
どこかで聞いた事のある話だが、怒りの感情は、10秒くらい我慢すると消えるそうだ。それと似たようなもので、人間の感情はきっと、強い衝動を数秒我慢したら、耐えられるようになるのではないかと思うのだ。その程度の感情だったのか、と言われるとそれは違う。その程度になるまでどんどん身を引いていったのだ。

そうやって日々を生きるうちに、好きという気持ちはなくなっていった。あんなに熱を上げていたのに、いつしか情報に触れても「へえ」としか思わなくなった。

こうやって身を引くことへのハードルとして、今までこれだけお金をかけてきた、労力をかけてきた、という気持ちがあるかもしれない。でも、どこかで身を引きたいという感情に気づいてしまったのなら、きっとその直感は大切にした方が良い。
たかが知れているが、確かに大事なお小遣いをはたいた。それでもそのとき喜んだ気持ちや、大好きだ! という気持ちの昂りで、元が取れたような気がするのだ。

ただ、こわいのは、その好きなものから離れて好きじゃなくなった時期の記憶がほぼないことだ。好きなものを失うと自我も失うのか…? と震えているところである。
一方で、その受験期を乗り越えてもなおBUMPのことは好きでいた。雑誌を買うことも情報を追うこともやめていたが、音楽は聴き続けていた。その時期のBUMPに関すること、曲を聴いて踏ん張ったことについては、なんとなく覚えているのが笑える。

一生好き! なんてことはもう言えなくなった。いつかどこかで手を離すかもしれない。そう認識したうえで、好きでいることは、昔より一歩進んだところに辿り着けたような気もするのである。

そして、こういう経験をしたからこそ、今好きなものを大事にしようとも思うのだ。

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