星野源のエッセイを読んだ話

星野源のエッセイを読んだ。
『蘇える変態』と『いのちの車窓から』だ。どちらもとても面白かった。
源さんに関しては、楽曲が好きでゆるく聴いている。一方で、私はエッセイを読むのもわりと好きな人間だったので、今回この本たちを手に取った次第である。

『蘇える変態』『いのちの車窓から』を読んでいるとき、度々声に出して笑ってしまった。こういうエッセイの面白いところは、もともと知っている人物が出てくるところもあると思う。例えば、小説だと基本的に徐々に登場人物についてどんな人物か、という想像が固まっていく。一方でエッセイ、特にこの源さんの書いた文章に出てくる登場人物のなかには有名人も多い。もとから知っている人を源さんの視点から眺める、これは興味深い体験でもあった。

『蘇える変態』では、中盤くらいから病に倒れた日のことが克明に綴られていた。ともすれば暗くなりがちな話題は、一方で笑いをもたらす快活な文章になっていたのだ。この人はすごい、と思った。その絶望も、色んなものに対する感謝も、気持ちがダイレクトに私の心に刺さってきた。
それまで思っていたことがある。いわゆるパブリックイメージ、世間一般、というとなんだか胡散臭いが、そういうところで目にする星野源のイメージと、自分のなかの彼のイメージにはどこかズレがあった。このエッセイを読み進めるうちにその乖離は解消された。確かに人間は都合良く自分の信じたいものを信じるのだろう。それでも、私は自分のなかの彼への印象のほうが近かった、ということを確認した。

そして何より、彼の思考を垣間見ることが出来たのは非常に面白かった。今ではアリーナ、ドームをいっぱいにするスーパースター、そう形容しても間違いではないと思う。そんな人物の日常や考え方が綴られている。そしてその感覚が自分のなかにも身に覚えがあったりするのである。まるで対極のような位置にある存在に共感する、それはとても不思議な気分だった。こんな生活を送る人でもこんなことを思うのか、とびっくりした。
その一方で、月並みな表現になってしまうが、思い描いた未来を実現する姿は胸にくるものがあった。憧れの人と共演すること、貰った言葉、作り上げた関係性、それはとても、こちらが嬉しくなる姿であり、羨ましい姿でもあった。誰かに憧れる気持ちが分かるから、自分はこういう思いや願いを抱くのかな、と思った。
『いのちの車窓から』の冒頭は、秀逸だと思った。この人にしか書けない文章だ、と思った。

この本たちを読み終わったあと、私の心のなかには穏やかで清々しい景色が広がっている。面白いものに出会えたあとは、自分が少し変化したような感覚がある。

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