『フィドルの本 : あるいは縁の下のヴァイオリン弾き』という本を読んで知る

フィドルについて知りたいとき、最初に調べた方法はインターネットだった。それからもっと楽器そのものを弾くこと以外にも、この楽器の全体的な流れや詳細を知りたくなり、本を探してみたのだった。

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『フィドルの本 : あるいは縁の下のヴァイオリン弾き』との出会い

フィドルについての書籍というのは、なかなかない印象がある。ちなみに、バイオリンについて書かれた本は色々ある。弾き方の教本から歴史の本から様々だ。
ことフィドルとなると、特に日本語で書かれた本というのはあまりなかったのだ。
しかし、さすがインターネット。私が読みたかった“まるまる1冊フィドル”についての本があることが分かったのである。
それが『フィドルの本 : あるいは縁の下のヴァイオリン弾き』(著:茂木 健、1998年、音楽之友社) だ。

本を読んだ感想

初心者がフィドルに挑戦するシリーズ 初回」という記事で文章を引用しているが、この本を読んだことによって、ある世界におけるフィドルの位置みたいなものが分かった。なかでも以下の言葉は、現在の自分の認識とは乖離があったので、当時はそういうことがあったんだなと印象に残った部分である。

ヴァイオリンとフィドルは、まったく同じ楽器でありながら、一方ではヨーロッパ芸術音楽(クラシック)の花形楽器として揺るぎない地位と敬意を得ているのに、一方では民衆の卑俗な音楽を演奏する下賤な楽器として同じく揺るぎない蔑みを受けてきた。

茂木 健 、1998年、『フィドルの本 : あるいは縁の下のヴァイオリン弾き』 、 音楽之友社 、p.3

現在の感覚で書くと、J-POP聴いてるよりクラシックのほうが教養高そうだよね、みたいな感じなのかなあ、と思った。学術的な視点でいえば、きっと音楽研究では西洋音楽(クラシック)が主流の部分があるのだろう。
ただ、この辺の認識は、フィドルを趣味で弾く分には関係ないし、実際のプレイヤーたちも歴史背景は知りつつ、演奏する音楽に誇りを持っている。すでに現在では古い認識になっていると思う。
フィドルで奏でられる素敵な曲がいっぱいあるし、人々が楽しむ部分という要素が大きい音楽だと感じている。
ちなみにこういった話は「【閑話回】“楽譜”のない音楽とフィドル」という記事に繋がっていきます。

自分の周りだけの話かもしれないが、そもそも楽器が出来るというだけですごいという認識がある。演奏できるというのことは、それなりの時間を費やしてきたことでもあるので、尊敬している。
今だと、音楽といえば、楽器を弾くよりも聴く機会の方が多いのではないだろうか。もっと音楽を奏でることが身近にあってもいいのにな、と思う。

さて、本の内容に話を戻す。
上記の引用のように、本書では、"バイオリン"と"フィドル"は、同じ楽器なのにもかかわらず出てきた差異について、紐解いていく。そもそものバイオリンの誕生の話からフィドル発生、各国のフィドルなど、どうやってこの楽器が派生していくかについて綴られている。
最後にはディスコグラフィも記してあるので、フィドルの知識を広げるのに大変役に立つ1冊だった。

楽器と一緒に時代と場所を旅しているような気分で読んだ本なのであった。

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