最近よく思うことがある。自分が製作した作品を、面白いか、面白くないか判断できない、ということだ。
この感覚をいつも不思議に思う。
他人の作品を見たとき、ああ面白いな、という感情や、これ私には合わないな……という判別は一瞬で出来る。理由は分からなくても、直感的に判断を下すことが出来てしまう。
でも自分の作品は、この判断が全く出来なくなるのである。
なぜなんだろう。
考えられることは、いくつかある。
一つ目、裏側まですべて知ってしまっているから、という点だ。この物語の意図はこうで、だからここではこういう行動をしている。私はそれを全部知っている。面白いと感じる要素のひとつは、発見ではないのだろうか。あ、ここそういうことなんだ! という驚きと理解は快感だ。
二つ目に考えられるのは、自分がそれを完成させるのに、どれだけ労力をかけたかを知っているから、ということだ。親の欲目とでもいうのだろうか。これだけ頑張って作ったものが面白くないというのは、すごく辛いなと思う。努力はすべて報われるわけではない、ということも辛さに拍車をかける。
三つ目、作品との距離感だ。創作は自分をもいで出したようなものである。作品が自分とは別のものになるには、どちらかが変質する必要がある。そして作品が変質することは、誰かの手が加えられない限り、ないだろう。とすれば、時間の経過によって自分が変化し、過去の創作物を眺めるということで、ようやく客観的な視点を手に入れられるのではないだろうか。
直近で作成したものの判断は難しい。しかし過去のものは、その当時見たときより、バランスが悪いな、ということやここはこうすればいいのにという判断できるようになる。これは過去の自分が、今の自分とは距離が遠のき、他人のような存在になっているからではないかとも思う。
作品を製作する人々の間で、よく言われている、完璧じゃなくていいから完成させろという話はとても頷ける。実際やってみる前の、かかる時間の目算は、大抵見積もりが甘いのだ。自分がどれだけ時間をかければ成し遂げられるのかは、やってみて初めて分かる。
今も迷いながら、見えない道を彷徨い歩いている。どこに辿り着くかは分からない。誰にも届かないかもしれない。それでも書きたいのだ。
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