歴史と人々から見るアイリッシュ音楽『ケルトを旅する52章―イギリス・アイルランド―』

前回は「言語化された空気感『アイリッシュ・ミュージック・セッション・ガイド』」という記事で、セッションについての本を紹介した。
今日は“ケルト”の文化や音楽、歴史について書かれた本について書きたいと思う。
『ケルトを旅する52章―イギリス・アイルランド― (エリアスタディーズ 94) 』(著:永田 喜文、2012年、明石書店)という書籍だ。

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アイルランドでの音楽

正直、読む前は、イギリス周辺の地理や成り立ちが、ぼんやりしていた。学生のころに習った世界史の知識が、うっすら思い出される程度である。そのため、この本を読んで薄ぼんやりしていた輪郭がはっきりしていったのが面白かった。
音楽という点で言うと、特に第1部に書かれていた文が印象的だった。
アイルランドの首都ダブリンの夜、パブについての記述だ。

ここには、音楽の伝統は存在しても、伝統的な楽しみ方はない。その場にいた人々―地元の人々であろうが、地方から出てきた人であろうが、はたまた私のように外国人であろう―が、それぞれに楽しめばよい。アイルランドの伝統音楽は、このように受け入れ幅が広いのが、ひとつの特徴のように私には思えてならない。

『ケルトを旅する52章―イギリス・アイルランド― (エリアスタディーズ 94) 』永田 喜文、2012年、明石書店、p.51,52

セッションする側の話

一方で、演奏側については以下のように記されている。

演奏に参加するとなると、話は別である。セッションへの参加は、実験的に他ジャンルとあわせる場合を除けば、伝統を重んじることが暗黙の了解とされている。そのためには、アイルランドの土地と人々の間に根付いてきた伝統音楽の手法を、頭ではなく、体で理解していることが望ましい。

『ケルトを旅する52章―イギリス・アイルランド― (エリアスタディーズ 94) 』永田 喜文、2012年、明石書店、p.53

この感覚は、上述でも出てきた『アイリッシュ・ミュージック・セッション・ガイド』でも書かれていたことだった。
これまで私の中のフィドルのイメージは自由で軽快というものだったが、認識がズレているかもしれないと感じたのである。特に現地で演奏されるアイリッシュ・ミュージックは、弾き方や姿勢に制限はなくとも、曲を繋いでいく選曲や演奏の形には暗黙の了解があるようだ。
こういう背景があることは知りつつも、まだ私自身はセッションできる段階では全然ないため、ひとまず楽しく思い通りに弾けることを目指して行こうと思う。

聴く側の話

聴く分には気負う必要がない点もいいなと思う。そういう点は“民衆の音楽”の強みだ。
ただ、ふと思ったのだが、上記に引用したことを踏まえると、日本人の演奏する“アイルランド伝統音楽”は、一歩間違えれば、日本人から見たカリフォルニアロールみたいなものになる可能性があるのかもしれない。ただ、カリフォルニアロールはカリフォルニアロールで文化を築いるし、美味しければそれはそれで良いと思う。

こうやって、好きなものの、現地の認識や成り立ちを知るのは面白いなと感じる。それが自分のやりたいあり方を明確にする手立てにもなると思う。

他にもこの本では、アイルランド伝統音楽の血が流れるバンドやグループについて歴史を紐解きながら紹介しているのも良かった。
ケルト文化の全体像を見てみたいときにおすすめの1冊である。

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